それは雲一つない青空が広がる、春のなんて事はない普通の日だった。

 

 

 

 

ある密かな恋

 

 

 

 

その日、シードは宛われた自分の執務室で、どうしても彼のサインが必要な書類と格闘していた。
戦場での活躍こそ華々しい彼にとって、慣れないデスクワークは苦痛以外の何者でもないが、これもハイランドの為と言われれば耐えるしかない。
小半時程は今日中にと言われた書類に大人しく目を通し、サインをしていた。
しかし、兼ねてからじっとする事が嫌いなシードの我慢はあっという間に限界を向かえ、補佐官が目を離した隙に、春の陽気に誘われるようにしてひらりと窓から逃亡した。

 

 

 

「ん〜〜〜っ!」

城の中庭の一角にある、草木に囲まれた場所。
そこはシードの隠れた昼寝場所の一つでった。
思い切り伸びすると両手足を芝生の上へと投げ出した。

「いい天気だなぁー…」

眼前に広がる空はどこまでも青く、シードの心に優しく染み入る。
穏やかな春風が時折シードの紅い髪を撫でた。
その風が運んでくる爽やかな新緑の香りと甘い花の香りは見事に調和し、鼻腔を擽る。
背中の少し硬い芝の中にも新芽の柔らかさが感じられる。
それがシードのお気に入りのベッドだった。
戦場で着るものとデザインは同じだが少し造りの違う軍服の前を緩め、自身の腕を枕にし、ゆったりと寛ぐ。
ポカポカと穏やかな春の陽射しに、ゆっくりと瞼を閉じた。

初めから長居するつもりはなく、ただ少しだけ外の空気を吸いたかっただけだった。
しかし、あまりの気持ち良さにシードはついうとうととし始めてしまった。

(戻らないと…。)

そう思えば思うほど、意識は遠退く。
程なくして、シードはすっかり寝入ってしまった。

 

 

「…ド、シード。」

低く心地良い、そして聞き慣れたバリトンによって、シードは夢から引き戻された。

「ん…。」

寝言とも、返事ともつかぬ声を発しながら、シードはまだ睡眠を欲しがる重い瞼を擦る事でこじ開けた。
空とシードの間に眉間に皴を寄せる不機嫌な顔があった。
同じ将軍職にあるクルガンである。

「それだけ眠れば、さぞかし悪い頭の回転も多少は上がるだろう。早く書類を仕上げろ。」

小さく嘆息し、呆れたように言い放つクルガンの言葉に些かムッとし、反論しようと口を開きかけたものの書類という言葉に今日の自分の仕事を思い出し、一瞬にしてシードは青くなった。

「…やべっ!」

軍服についた草を取り払うもそこそこに慌てて立ち上がり、クルガンに問う。

「どんぐらい経ってる!?」

「一時間程だ。」

クルガンの答えに少しホッとする。

「そっか。」

そう言って両手を組み、空に向かって思い切り背伸びをし、首を左右に倒してコキコキと骨を鳴らす。
その様子をただ黙って見ていたクルガンだったが、シードが完全に起きた事で自分の役割は終わったとばかりに城内に歩き出そうと一歩踏み出した。
その事に気付いたシードがクルガンに声をかける。

「悪かった、な…。」

自分以上に忙しい同僚に迷惑をかけてしまった事に少し罪悪感を感じ、罰が悪いそうにがしがしと頭を掻きながらの素直な謝罪。
その様子にクルガンは内心苦笑し、シードに近寄ると頭についた葉を取り払ってやった。
そして、ぽんぽんっとシードの頭を軽く叩きながら言った。

「そう思うなら早く仕事に戻れ。」

唇の左端をほんの少しだけ上げただけの笑み。
普段は冷たい印象を受ける淡青の瞳が温かみを帯びる。

「―――――っ。」

不覚にもシードは見とれてしまった。
くるりと踵を反し、歩き去るクルガンから目が離せなかった。

 

 

 

どのくらいそうしていたのか、シードにはわからなかった。
ただ、気付いた時にはクルガンの姿はなかった。
あるのは風の囁きだけ。
そして残された自分の異様に早い鼓動。

 

『恋をするのに、男も女もない。時間もいらない。落ちるのは一瞬なのだから。』

 

ふいに、いつか誰かが言っていた言葉が脳裏を過ぎる。

「なっ、なななななんで、今、んな事を思い出さなきゃいけねーんだよっ!」

誰に言うでも無し、シードは頭を掻きむしりながら叫んだ。

ある、密かな恋の、始まり。

 

fin.

 

後書き(言い訳)
クルシーというよりも、くっつく前のシード→クルガンなお話。
『シード、無自覚の恋』をテーマに書き殴ってみました。(爆)
ハイ、乙女です。乙女モード入ってます。(-.-;)
実際、乙女な夢を見るほど私の脳は沸いてます。(死)
因みにクルガンの笑みは確信犯です。(笑)

深海紺碧