Arabesque―深淵―
どこまでも広がる水平線の眩しさに、くらりと眩暈がした。
ハイランドの東端。
海に面した草原が広がる美しい場所。
その南は町が栄えており、北には深い森が広がっている。
シードは愛馬からひらりと降りると、体中に染み入るように緑の匂いを肺いっぱいに吸い込んだ。
「しばらく自由にして来い。」
そう言ってシードは愛馬の首を撫ぜると手綱を外してやった。
愛馬は小さく嘶くと草原へと駆けていった。
それを見送った後、手綱を無造作にポケットに突っ込み、森の奥へと向かった。
あの後、三日間の休暇を言い渡された。
誰の根回しはわかっている。
その事に腹立たしさを感じながらもシードはそれに従った。
何故かと言うと答えは単純だ。
行きたい…否、行かねばならぬ場所があったからである。
そこは皇都から遠い東の端に位置し、往復にかなりの時間を要する。
その為に、三日間の休暇は必要だった。
二度と来る事はないと思っていた、忌まわしき場所。
ずきん…と心臓が痛みを覚えた。
痛みに顔を顰めながらも、歩みを緩める事なくシードは奥へと進んだ。
やがて、前方に開けた場所を認めた。
ぐるりと辺りを見回し、一歩踏み出した。
その途端、激しい吐き気に襲われシードは二・三歩後ずさった後、がくりと膝を着いた。
「ぐぅっ……。」
こみ上げてくる嘔吐感に、生理的な涙が目尻に滲む。
口元を押さえる手から漏れる息は荒く、全身の血が逆流するような感覚に襲われていた。
―――――落ち着け!
無理矢理、自身の鼓動をも抑えつける様にしてしばし息を止め、その後、ゆっくりと深呼吸を繰り返した。
何度かそうしていると、徐々にそれらは元に戻った。
そして、正常な機能を取り戻した時、忌々しげにシードは舌打ちした。
「何て様だ…。」
近づく事さえままならない自分の様子にシードは自嘲気味に笑った。
そして、あの場所に行かずに済む事に安堵した。
あの場所に行ってしまえば自分は正気を保っていられない。
そう、感じた。
シードはゆっくりと立ち上がり、衣服についた砂を払った。
一瞬だけ深い慟哭の瞳を森の奥に向けた後、背を向けた。
そして、瞳を閉じる。
己の誓いを違える事は決してない。
それが唯一のものであるとシードは思っていた。
だが、それがただ一人の男によって覆されようとしている。
その事実を受け入れる事は、シードにとって死程に危険な事のように感じられた。
だから、やってきた。
自分の墓のある場所へ。
本当の自分は死んだのだ。
10年前のあの日に。
蘇る事など永遠にない。
その事を確認する為に。
しかし、それは叶わなかった。
つぅ…っと一筋の涙が頬を伝った。
涙は枯れ果てたと思っていた。
失うものなど何もないはずだった。
―――――あの人を失った瞬間にオレも死んだんだ。
ぐっと拳を握り、自分に戒めを課す。
もう二度と心が動く事がないように。
涙を流す事がないように。
『女シード』の感情を捨て、『男シード』になる。
将である事が全てであると自らに暗示をかける。
―――――オレに、心は存在しない。
その瞳から生気が消えた。
ははは…。
久々に書いたのですが、やはり暗いですね。
前回に引き続き、シードの心の闇に触れてみました。
気づけばかなりの月日が経ってしまいました。(死)
この連載は自分の中で気に入っているので、
頑張ってちゃんと最後まで書きます!(多分)
紺野碧